バーテンダーズ アイ

「こだわり」、それは酒の道を追求するバーテンダーに必要な資質と思われている節がある。しかし「こだわり」は本来、固執、妄執など執着を意味するネガティブな言葉。バーテンダーには、およそ相応しくない。バーテンダーの仕事は、酒を振る舞う手法に専心する…つまり「凝らす」ことにある。プロとしての思い思いの「凝りよう」が、接客やインテリアなどの細部に沁み渡り、至福のグラスに宿り、静謐なバーの空気を産み出しているのだ。
そんなバーテンダーの「凝りよう」を取り上げる新シリーズ「bartender's eye」、今回は「自慢のツール」について伝える。

今回のテーマ
自慢のツール

Maeda Bar オーナー 前田賢哉氏

銅製蒸溜器アランビック 5.0L 温度計付き

「営業中に使用するものではないのですが」と注釈付きで、前田氏がその凝りようについて語ってくれたのは、バックバーの真ん中に鎮座する鈍い黄金色をした蒸溜器アランビックだ。私はその存在に気づいてはいたが、不覚にもちょっとしたインテリア程度に捉えていた。

「バーテンダーは、常に新しい酒を作ることを考えています。あのリキュールとの組み合わせはどうか、このスコッチとあのスピリッツでは、どうなるのか…その延長戦上で、混ぜ合わせるだけでなく、酒を作ることができたらなと考え、自分で蒸溜したら面白いかもと、蒸溜器を探していたんです」。

Destilarias Eau de Vie社は、本格的なものから手軽な個人向けのものまで親子で蒸溜器製作を手掛けているポルトガルの製造会社。日本のある業者が、ハーブ蒸溜、アロマ抽出などの目的で輸入していることが分かり、さっそく5.0Lの小ぶりの品を仕入れてみた。もちろん、酒税法により個人で作った酒の販売には免許が必要。しかし、客に出すわけではない。ものは試しにワインを蒸溜してみた。

「白州なんかの蒸溜所を見学に行くと、ニューポットからジャバジャバと湧いて出ている。ところが、店先のコンロを使って直火でトライすると、待てど暮らせど出て来ない。もう最初の一滴が出た時の感動といったらなかったですよ」と前田氏をして苦笑させる仕事のようだ。「お、やっぱり透明なんだ」、「バカ、当り前だろ!」などとひとり突っ込みをしながら悪戦苦闘。「タバスコの瓶のほうが、よっぽど勢い良く出ますね」と、6時間付きっきりで処方した結果、100ccにも満たない分量が貯まった。

ところが、呑んでみると「舌がビリビリした。試飲会でもないのに、べーっと口から出しちゃって。こりゃ、度数が高いからじゃないな」と閉口。まるで粗悪なグラッパのようだったと回想する。

蒸溜中、時間を持て余し、片手間にスコッチをベースに色々と手を加えたハウスブレンドまで作ってしまったという凝り性の前田氏。今は、このアランビックでハーブウオーター、ハーブオイルを蒸溜し、それを使ったカクテルを考えている。「そのハーブをリキュールの代わりに使うのではなく、ベルモットと合わせ、一風変わったマティーニを作るとか、ジンやウイスキーと合わせるのを思案中」とか。

前田氏、このアランビックのおかげで「酒作りの大変さが良く理解できた」と、結果とは裏腹に朗笑していた。

銅製蒸溜器アランビック 5.0L
maeda bar店内

TOP NOTE 店長 若林恵氏

キッチ・カイピリーニャ

若林氏が、ブラジルの伝統的カクテル「カイピリーニャ」を作る際に使用する木製擂りこぎが、こちら。ハーブをつぶす際にも使用し、ブラジルならどの家庭にもそろえてあるツールなのだとか。日本家庭のおろし金のようなものか。器の部分が、ビラン・デ・マデイラ・パラ・カイピリーニャ、棒の部分がソカドール・パラ・カイピリーニャ。合わせて、キッチ・カイピリーニャと呼ぶ。

南米での仕事が多い常連に、忘年会に招待された時のこと。その忘年会では、最後に必ずカイピリーニャを呑むのが習わし。しかも、ブラジルの砂糖を使用し、本場のカイピリーニャの作り方を見せてくれる。そこで、登場したのが、この擂りこぎだった。思わず「欲しいですね」と騒いでいたところ、「そのお客様が、わざわざブラジルから買って来てくれました」とおちゃめに笑う若林氏。

店でカイピリーニャを作る際、それまではグラスの中でつぶしていた。せっかくなので、この擂りこぎでつぶすことに。

「柑橘系のフルーツをつぶすとき、金属を使うと酸味で変質しやすい。ところが、木製だとその影響も少ないので、味覚にも差が出ます」とその合理性に感心した。

器自体、合わせ木になっているため、使い始めの頃は、合わせ目から果汁が漏れたもの。だが、使い込むうちに目地が埋まり、使えば使うほど味も出る。合わせ木もブラジルならでは。それぞれ多様な木材が使用されている。

「工芸品のようにも見えるので、バックバーに置くだけでお客様からの引きも良い。お作りしている際も他のお客様から『あれは何?』と声がかかるので、会話も生み出しやすい」。

実際、擂りこぎ棒を手にしてみると、想像以上に軽い。だが、重心が下部に集中しているせいか、力を入れずともつぶしやすく、女性には特に重宝するだろう。

本場のカイピリーニャは、つぶすことで、フルーツのにがみ、えぐみを出すのが基本。

「ブラジルの方からすると、これまでのウチのカイピリーニャはちょっとえぐみが足りず、上品過ぎると指摘されていました。それが、これで作ると美味しいと言ってもらえます。せっかくなので、今年の夏は、思い切り現地っぽくえぐみを出したカイピリーニャの企画でも立ててみようかと考えています」。

この夏、モヒートに代わって、えぐみのあるカイピリーニャが流行るかもしれない。

キッチ・カイピリーニャ
TOP NOTE 店内
取材記者:たまさぶろ プロフィール

東京都渋谷区出身。千葉県立四街道高等学校、立教大学文学部英米文学科卒。「週刊宝石」、音楽雑誌などの編集者を務めた後に渡米。ニューヨーク大学およびニューヨーク市立大学にてジャーナリズム、創作を学ぶ。Berlitz Translation Services Inc., やCNN Inc.本社勤務などを経て、帰国。「月刊プレイボーイ」、「男の隠れ家」などへの寄稿を含め、これまでに訪れたことのあるバーは日本だけで600軒を超える。

最近の著書は「【東京】ゆとりを愉しむ至福のBAR」

著書

撮影:斉藤美春