友達とはいいものだ。そんなことをふと思うことがある。サラリーマン時代の話で、あるMOOKを編集長として任されていた時のこと。表紙まわりに入る予定の広告が突然飛び、窮地に立たされていた。そんな折りに大学時代の友人が飲みに誘ってくれた。バーで遅くまで飲み、グチを聞いてくれたのだ。帰りがけにふと胸の中のモヤモヤがなくなっていることに気づいた。やはり旧友と飲むのはいいものだと、しみじみ思ったものである。 しかし、いくら仲のいい友人とはいえ、仕事をいっしょにするのは難しい。やはりお金が絡む分、ギクシャクするし、言いたいことが言える分だけ、当たりがきつくなり、ケンカ別れするケースも多い。だから学生時代の友達が、全く別分野にいることが、ありがたいと常々思っていた。西田辺(大阪)の「BAR BOA VIAGEM(バー・ボア・ビアジェン)」で飲むまでは…。 某大手弱電メーカーの本社がある西田辺は、天王寺より少し南に下がった所。天王寺から地下鉄で二駅くらいなので、そんなに住宅地のイメージは強くはない。地下鉄・西田辺駅より南港通り沿いに5分ほど歩いた所にあるのが「バー・ボア・ビアジェン」である。カウンター14席、テーブル2つ(計12席)という小ぶりな店だが、路面店なので気軽に入れることもあって地元では評判のバーになっている。
この「バー・ボア・ビアジェン」を営むのは森隆政さん、春田幸一さん、原田昌也さんの同級生三人組である。森さんの話によると、春田さんとは幼稚園から高校まで、さらに原田さんとは大学までいっしょだったそうだ。家も西田辺周辺で、まさに幼馴染みという言葉がぴったりくる三人組である。 森さんと春田さんは大学を出、別々の会社に勤めていたが、なんとなく順調に来すぎた人生に一石を投じたいと思い、「将来、いっしょに店をやれたらいいな」と話しながら毎月1万円ずつを同じ口座に貯金し始めた。だが、月に計2万円の貯金では、店の資金になるには遥かに遠い夢物語だと悟り、いつまでたってもできないと思ったようだ。そこで夢物語を現実にするには、各自が10万円ずつを貯金し、3年たったら会社を辞そうということになった。そして何をするのにもいっしょにいた幼友達の原田さんに「いっしょに店をやらないか」と声をかけた。すると、原田さんは、二つ返事でOKしたという。この回答には声をかけた本人達が驚いた。原田さんは飲みに誘われたかのように同意したからである。こうして3年目に各々が会社を退職し、バー経営の第一歩を踏み出したわけである。 バーをやるとはいっても、三人ともが飲食業界未経験者。そこで三人が違う店へアルバイトで入り、そのノウハウを会得しようと考えた。森さんは帝塚山のバー「ハザード」、春田さんはその近くのバー「ラグタイム」、そして原田さんはアメ村のカフェバー「UMIYA」へ勤め、徐々に飲食業へ身体を慣らしていったのである。 就職してから30歳で起業しようと決めていた三人は、共同経営というスタイルで「バー・ボア・ビアジェン」をスタートさせる。誰がどんな仕事をしようが、給料は三人とも同じ。それにルールもあえて作らないという、簡単な決めごとを持ちながら「バー・ボア・ビアジェン」はスタートした。2007年3月8日にオープンしたこの店は、丁度昨年で5年目を迎えた。不況にあえぐ平成の世にあって順風満帆に進んでいる。その証拠に昨年、天王寺で2号店をオープンした。HOOPの少し東にある2号店の店名も「バー・ボア・ビアジェン」。2号店なのに、天王寺店とも明記しておらず、森さんによると、西田辺であろうが、天王寺であろうが、ただ単に「バー・ボア・ビアジェン」なのだとか。
天王寺に新店がオープンしてからは、春田さんと原田さんは、そちらに行っているらしく、この西田辺の店は、森さんが仕切っている。一人では大変なのだろう、昨年9月から20歳の藤本竜介さんと谷一晃さんが手伝っている。 「友達同士でうまくやるコツって何ですかね?」。そんな私の問いに森さんは「確かに大変な面もありますが、三人ともが同じ方向を向いているので、うまくやれるんでしょうね。強いて付け加えるなら、あまり関与しないことぐらいですかね」とさらりと話す。昨年までは三人がこのカウンター内に立っていた。それを森さんは、「同じ店の中で個々の店があったようなもの」と表現する。決める時は、いつも多数決。二人の意見が一致する時は、有無を言わず、もう一人も従う。そんなルールをきめているらしい。 私はふらりと入ったバーで、こんな身上話のようなことを聞いている。ジントニックを一杯飲っただけなのに、こんな風に話ができるのは、全て森さんが醸し出すフレンドリーな雰囲気からだろう。西田辺という、私にとって馴染みのない土地で、こんな打ち解けた雰囲気で飲めるなんて、なんと居心地のいい店か。そんなことを思いつつ、別分野で仕事に励む大学時代の友人の顔を思い浮かべていた。
森さんと話しながら飲っていると、時間をついつい忘れてしまう。空になったグラスを見て、「ハイボールでも飲みませんか?」と言ってくれた。「バー・ボア・ビアジェン」は、北新地のオーセンティックバーとは趣が違うためか、ジントニックやモスコミュールなどの定番ロングカクテルか、ビールがよく出るのだという。「北新地のバーほど、ウイスキーを注文する人は少ないですが、うちではウイスキーというと、もっぱら『白州10年』ですよ」と話す。以前、この店では「ハイボールを」と注文すると、「角ハイ」が出ていたそうだが、今では「白州10年」を炭酸で割って出すのが当たり前になりつつある。「白州10年」は飲みやすく、独特のスモーキーな香りを有している。「しかも値段が手頃で、味と値段のバランスがいいんですよ」と森さんは薦めている。 この店では、炭酸で割ると、ストレートやロック、水割りより100円アップする。しかし、「白州10年」に限ってはそうではなく、700円(税別)のまま売っている。つまりハイボールを飲むなら「白州10年」がお得というわけだ。森さんに薦められるままに「白州10年」のハイボールを注文すると、彼はまずグラスに氷を入れ、カウンターの後に吊ってある「白州10年」のボトルから30mlを注ぎ入れた。ステアして氷とウイスキーをならし、その上から炭酸を90ml入れて、軽くステアする。こうして私の目の前に「白州10年」のハイボールを提供してくれたのだ。
「白州10年」は甲斐・駒ケ岳の麓にあるサントリー白州蒸溜所で造られたシングルモルトのウイスキー。自然の恵みを最大限にいかして造られたこのウイスキーは、多くのバーテンダーから支持されており、炭酸で割って作られるハイボールは、“森薫るハイボール”の異名を持っている。まるで爽やかな新緑の香りが漂うかのような味わいで、ほのかな甘みがハイボールにすることで、より特徴的になる。 森さんは、サントリー白州蒸溜所に行ってから、このウイスキーに惚れ込んだようだ。サントリーのアテンドで、20人ぐらいのバーテンダーが1台のバスに乗り、白州蒸溜所ツアーを行うことがたまにある。同業種ばかりがまさに呉越同舟するバスツアーは、それはそれは大人の遠足と銘打ってもいいような楽しい旅。そして辿り着いた森の蒸溜所で彼らは「白州」のできる過程を目のあたりにする。旅終えて帰って来たバーテンダー達は、「白州」というブランドに親近感を覚えるのだという。 関西では、山崎蒸溜所が近いために、「山崎」ブランドを好む人が多い。そのためか、馴染みが薄く、昔は「白州」を“しらす”と呼んだ人がいたようだが、今ではバーテンダーの助力もあって十分に「白州」ブランドが浸透している。すでに“しらす”と誤読する人も少なく、むしろ「白州10年」を用いたハイボールを「森薫るハイボール」と注文する人もいるくらいだ。 「バー・ボア・ビアジェン」の森さんもサントリー白州蒸溜所からいいイメージを持ち帰ったのか、このハイボールのみは、お得感のある値段にしている。ハイボールにしても100円アップにならないのだ。西田辺という土地柄のせいか、「バー・ボア・ビアジェン」は、全般的に安い。繁華街の店と比較すると、2割ぐらいは安く飲めるようになっている。 森さん達がこの店を始めるにあたって考えたことは、カッコつけず、値段を安くして若い人でも気軽に入れるようにしよう。肩肘張って飲むのではなく、居酒屋のバー版のような店を目指そうとした。仕事になってもいつまでも幼馴染が仲良く集えたように、客側も集ってもらえるようにしたいと考えて、5年間ドリンクを提供し続けて来た。「ボア・ビアジェン」とは、ポルトガル語で「よい旅を!」との意味だそう。「この店へ来て、飲んだ後は、いい旅をしてください」。そんなことを思いながら送り出すのだと森さんは言う。西田辺のこの店と出会えたことで、明日からいい旅ができるかも…。そんなことを思って「バー・ボア・ビアジェン」の扉を閉めた。