一年のうちでやたらとチョコレートが食べたくなる時期がある。それは2月半ばあたり。つまりバレンタインデー前後なのだ。この時期は男性には酷で、チョコレート売り場に行けないばかりか、買おうものなら「この人は義理チョコももらえないの?」という目で店員に見られてしまう。売り手の方は、そんなことはこれっぽっちも思ってもないのだろうが、買う男性はいささか自意識過剰気味。なかなか売場にあるチョコレートを手にする勇気がない。 買えないとなると、どうしても食べたくなるもので、不確定な義理チョコなどあてにしてはいられない。動機は不純かもしれないが、バーへ行き、チョコレートをアテにウイスキーを飲むに限る。これならチョコレートを求めてもカッコ悪くないし、ウイスキーとのマリアージュだって愉しめる。 こんな思いを抱き、出かけたのは、梅田(大阪)のDDハウス内にある「ANDRE」(アンドレ)。オープンからすでに25年目になる。いわゆるこの界隈のおなじみ店である。「アンドレ」では、この時期になると、チョコレートとウイスキーのマリアージュを愉しめるような企画を行っている。店長の板倉賢光さんの話に耳を傾け、酒を飲むのも一興なのだ。
「白州12年」のハーフロックを注文すると、板倉さんが出してくれたのがホワイトとブラウンのいかにも美味しそうなチョコレート。聞けば、サントリーがモルト&ショコラのプロモーションを行うためにROYCE’で作ってもらったのだとかで、ホワイトチョコレートには「白州18年」が練り込まれており、もう一方は「山崎シェリーウッド」の原酒を使っている。「アンドレ」ではこの時期あたり(2/1〜2/14)に、「白州12年」を注文すると、もれなく、この生チョコレートを無料で提供している。但し、17:00〜20:00までの夕方限定。その理由は「忙しくなると、ゆっくりとモルト&ショコラの話ができない」からだそう。 若手バーテンダーの松本亮さんが、私の前にそっと出してくれたチョコレートは、いかにも蘊蓄がありそうな逸品。ハーフロックの「白州12年」を一口飲み、ホワイトチョコレートに手を出しかけると、「白州18年を練り込んでいるからか、流石(さすが)に『白州』には相性ぴったりくるんですよ」と板倉さんが話し始めた。「ホワイトチョコレート特有のバター風味と、バニラ香がしてスモーキーな『白州』が実に合うんですよ。一口飲んでチョコレートを食べると、森の静寂が漂うようですね」と少々文学的表現を用いて話してくる。ホワイトチョコレートを舌の上で転がすと、冷たさを覚える。それが森の冷たさであり、森の静寂を意味するのだと板倉さんは言う。そして「ミルキーでマイルドなホワイトチョコレートの風味に『白州』の味がマッチするんです」とも。ホワイトチョコレートには、バター風味があるからか、油っぽさが特徴。そのまったり感をウイスキーがきりっと洗い流してくれるばかりか、相性のいい余韻が口内に残る。まさにマリアージュとはよく言ったもので、2つの個性が織り成す“旨い”世界が印象として脳裏に刻まれていく。
もう一方の生チョコは、「山崎シェリーウッド」の原酒を練り込んで作っている。蒸溜所ごとにその土地の気候や風土があり、つくり手のこだわりが色濃く反映されたシングルモルトをチョコレートの中に練り込んだら、よりモルト&ショコラのマリアージュが愉しめるだろうとの思いからサントリーがROYCE’に頼んで作ってもらったそうだ。原料のチョコレートはウイスキーとの相性を考えて世界から厳選。シングルモルトの甘く芳醇な香りと深い味わいをいかすレシピで仕上げた。この期間限定の生チョコレートは、モルト&ショコラのプロモーションの一環でもあるので、「アンドレ」ではバレンタインデー時期の特別なサービス(これとは別に840円で販売している生チョコレートもメニューにある)となっているのだ。 「山崎シェリーウッド」の原酒を練り込んだ生チョコレートには、「山崎」「ザ・マッカラン」「ザ・マッカラン・ファインオーク」「ボウモア」を、片や「白州18年」を練り込んだ生チョコレートは、「白州」「グレンフィディック」「ラフロイグ」に合わせるのがいいとされている。 ともかく私は「白州12年」のハーフロックとのマリアージュを愉しんだわけであるが、これまでスイーツ本を何冊か編集した経験のある私が食べても“旨い”と思う味だった。流石はサントリーとROYCE’とのコラボだけあって、相性をうまく取り込んでいる。そこへスモーキーさがあって個性溢れる「白州」の味が加わるわけだから、チョコレート好きにもウイスキー好きにも納得できる組み合わせだ。「チョコレートとウイスキーの組み合わせは、単純に1+1=2では計れない。互いの魅力を引き出しているので、答えの2が3にも4にもなっていく」との板倉さんの言葉は、けだし名言ともとれる。
自身も「白州」が好きと言う板倉さんが店長を務める「アンドレ」は、このDDハウスの店と、曽根崎(大阪)、銀座3丁目(東京)の3店舗を持つ。1987年に1号店をオープンし、すぐに近くにあったDDハウスへ移ってきた。最も新しいのは2010年6月にオープンした「銀座ANDRE」。この3店舗に共通するのは、気軽に入れる店づくりと、リーズナブルに飲める点。初心者から通まで楽しめるバーになっている。 板倉さんは「アンドレ」に来て12年になる。有名調理専門学校で調理師を目指したそうだが、アルバイト時に配属されたホテルのバーで、料理よりも酒の方の魅力にとりつかれ、バーテンダーの道を歩んだ。その道に進んだ理由を問うと、「料理だとどうしても厨房での仕事になることが多い。それに引き替えバーは、お客様の反応がダイレクトに感じられるので面白いですね」と話してくれた。「でも、流石に調理専門学校の生徒で初めからバーテンダーを志望して就職したのは、同期で私ひとりでしたがね」と笑いながら言う。…ということは、異色なのかと、私も変に納得してしまった。 その板倉さんを脇で支えているのが松本さん。バーテンダーは、高校時代からの憧れだったとかで、20歳になった昨年に「アンドレ」の門を叩いた。「お酒は20歳からですが、飲まなければ、それより前からでもバーで働けるんですよ。でも松本君は何を勘違いしたのか、20歳になるまではバーで仕事ができないと思っていたらしく、20歳を待ってバーテンダーになったわけです」。板倉さんが笑い話のように松本さんのエピソードを話している間も、彼はもの静かにカウンター内に立っている。「空気感がカッコいい」と、バーテンダーになった松本さんも板倉さんの下に就いて働けば、きっといいバーテンダーになるのだろうなと思ってしまう。バーテンダーの技術はもとより、料理まで教えてくれるから、一石二鳥であろう。
かつて私は、この「アンドレ」に何回も飲みに来た。以前勤めていた出版社がこの近く(中津)にあったため、仕事帰りによく立ち寄ったのだ。会社を辞めてからすでに17年以上の歳月が経つ。しかし、いつ来ても「アンドレ」のイメージは変わらない。「店長によって少しは色の違いが生じる」と板倉さんは言うが、いい店はいつまでも輝きを放つものだとしみじみ感じ入る。 「白州12年」のハーフロックを飲み干すと、板倉さんは「実はね『響12年』と合わせても面白いですよ。ブレンデッドウイスキーの柔らかく、芳醇な味わいとうまく合わさり、相乗効果をもたらすんです」と耳打ちしてくれた。残り1つは「響12年」のハーフロックで愉しもう。そしてチョコレートがなくなったら、板倉さんの作ったレーズンバターと「ザ・マッカラン」のストレートを注文しよう。「ザ・マッカラン」の香りと甘みのあるレーズンバターの組み合わせも、ひとつのマリアージュだ。そんなことを思いつつ、「響12年」を待った。早い時間に入ったから時間はまだまだ十分ある。今日のテーマは、マリアージュ。こんな愉しみ方も時には面白いと思っている。