久しぶりに四天王寺前夕陽ヶ丘で降りた。かつてこの駅付近には、取引先だった広告代理店があって、20代の頃には原稿をもらいによく通っていた。この駅周辺は四天王寺の門前町にあたる。だからだろうか、20年以上たっているのにも関わらず、あまり町の雰囲気は変わっていなかった。 四天王寺は、聖徳太子が建立した7大寺のひとつ。「日本書紀」によれば、推古天皇元年(593年)に建立が始まったというからかなりの歴史がある。蘇我馬子が建てたといわれる飛鳥寺と並んで日本における本格的仏教寺院としては最古のものと言われている。四天王寺前あたりは、別称・夕陽ヶ丘とも呼ばれるくらいで、昔はここから見た夕陽が美しかったのだろうと想像がつく。 地下鉄・四天王寺前夕陽ヶ丘駅を下車し、谷町筋を少し南へ下ると、目的のバー「GALWAY(ゴールウェイ)」が左手に見えてくる。このバーは、「クラシカル」(堺)で働いていた藤田剛さんが2010年11月14日にオープンさせた真新しい店である。表記上ではインターシティビル101となっているが、少し階段を上がる中2階のような立地で、看板にはCeltic Bar GALWAYと書かれていた。
「ケルトバーとは珍しいですね」と聞くと、藤田さんは「アイルランド人と知り合ったこともあり、ケルト文化に興味を持ったんですよ」と返して来た。ケルトとは、インド=ヨーロッパ語族に属するケルト語を話す人達が生み出した文化や歴史、風俗などを総称したもの。その歴史は古く、紀元前8世紀に中央ヨーロッパで興った鉄器文化の一翼を担っていたと言われている。今ではアイルランド、スコットランド、マン島、ブルゴーニュ、ガリシアなどが古代ケルトを引き継ぐ地らしい。「初めはアイリッシュパブをって、考えたんですが、アイルランドに限ってしまうと、お酒も限られてしまうので、あえてケルトをコンセプトにしたんですよ」と藤田さんが話してくれた。ケルトといえば、アイルランドやスコットランドのイメージが強いが、実はスペインにフランスにと、その範囲は広い。藤田さんの言う通りケルトのように広域だと、酒やメニューの幅が広がりそうだ。それに私はケルトをテーマにしたバーを耳にしたことがない。そういった意味でも今後の展開が面白そうな気がする。 11月に念願の独立を果たした藤田さんは、帝塚山の「ラグタイム」、堺の「クラシカル」と有名店を歩いてきた人。現在、NBA南大阪支部の支部長を務めている有田正彦さんを師と仰いできたバーデンダーだ。藤田さんがバーという業態に興味を抱いたのは学生時代。飲食店でアルバイトをしていた時にバーの雰囲気を人伝手に聞き、面白そうだと思ったのだとか。「サントリーカクテルブック」をその頃に読んだのもその要因。いつかはバーテンダーとなって自分が作った空間や雰囲気を伝えることができればと考えた。23歳で「ラグタイム」に入り、そこで有田正彦さんや仲一馬さん(故人)と出会っている。 四天王寺前にあえて店を選んだのは、縁のある天王寺付近でやりたいとの思いから。そして歩いて5分ほどの所にある師匠の店(ザ・有田バー)とともに南大阪地区のバー文化を担っていきたいと考えた。
この閑静な町のバーで、私は最初に何を飲んだかというと、「PECHKA(ペチカ)」なる名前のカクテルである。このお酒は、オレンジ色がきれいなホットカクテル。風が肌身に染みるこの季節にはぴたっりな一杯である。「寒い夜の最初の一杯にいいでしょ」と藤田さんが作ってくれた「ペチカ」は、軽い味わいで、甘さの中に苦みが利いている。 藤田さんの話では、昨年発売された「アペロール」がベースとなっているとのこと。どおりで、オレンジ色が映えるわけだ。「アペロール」はイタリアで人気の軽やかなリキュール。ビターオレンジやスイートオレンジなどの柑橘系のほか、色んなハーブを用いて造られている。藤田さんは、これを用いて「ペチカ」を作っている。まず、グラスに湯を入れて温める。ある程度温度が伝わったら、湯を捨てて作り出すのだ。レシピは「アペロール」30ml、「ビフィータ・ドライジン」20ml、「チンザノ・ロッソ」10mlを入れ、湯(約120ml)を注ぐだけと簡単。仕上げにオレンジピールを絞りかけて完成する。「試作で作った時は、ジンが多めだったんですが、それだとジンが勝ってしまうんですよ」と藤田さんは話す。ホットカクテルにしたのは、これからの寒い時季に、身体を温めるのにいいのと、これを序章にして、色んなお酒を愉しんで欲しいからとの理由。「温めることで、揮発性があり、アルコールのたち方が変わってくるんです。『アペロール』はアルコール度数が11%と低いので、ホットなら余計に強さが感じなくなるんですよ」。私が飲んだ印象も軽く、ホットワインのような強さしかない。温めているので、もっと甘いかと想像していたが、そうでもなく、むしろ「アペロール」のビターな感じが程よい苦みを特徴づけている。「スパイスを使ったジンを用いることで『アペロール』の甘さが緩和されているんでしょう」と藤田さんが付け加えた。水で割ると、薄く感じ、甘みが出ないから藤田さんはあえてホットカクテルにしたそうだ。もしソーダを用いるのなら、「アペロール」以外のものは入れずに単純にソーダ割りにした方が美味しいと言う。
「アペロールは使いやすいリキュールですね。昨今は低アルコール化の傾向があるので、軽めに飲めるのがいいでしょう。それに果実(柑橘系)との相性もいいですしね」。藤田さんは、「アペロール」に似たものとして「カンパリ」を挙げる。しかし、「カンパリ」を使うと、赤のイメージが強くなりすぎるために、「アペロール」で「ペチカ」を作ったのだと話してくれた。「オレンジフレーバーが強くて、色合いの出し方が柔らかいでしょ。ここは“夕陽ヶ丘”という地なので、オレンジ色に縁があるのかもしれません」。 そう言えば、地下鉄谷町線が開業する前、駅名は“夕陽ヶ丘”になる予定だった。それがなぜか“四天王寺前”と発表された。そこで住民は「四天王寺はここから離れているのに、どうして古くからあった地名を無視して“四天王寺前”に変更したのだ」と訴えたという。だから「ゴールウェイ」の最寄駅は、長ったらしく“四天王寺前夕陽ヶ丘”となっている。すると、カウンターで飲んでいた人が「この前にあるビル群をつぶしてしまえば、昔のように夕焼けがきれいに見えるんだろうな」とつぶやいた。時が経ち、その地名が付いた頃の風情はすでにない。しかし、私の目の前には藤田さんが作った「ペチカ」がきれいなオレンジ色を放っている。「この酒こそが、現在の“夕陽ヶ丘”かもしれませんね」と言いながら、湯気の立つカクテルを口に運んだ。甘みと苦みがうまく折り合ったカクテルが喉を通り、身体に少しの温もりが伝わった。