北新地に早川惠一さんという有名なバーテンダーがいる。かつて私は、この人が作る「山崎シェイク」を取材したことがある。この酒は、「山崎」と「天然水南アルプス」をシェイクしたもの。早川さんによると、このアイデアはサントリーから聞いたものらしい。しかし、早川さんが作るこの酒の美味しさに私は感動し、取材記事の終わりにこんなことを書いた。「顔や人でその嗜好を見分け、お客さんに合った物を作る―。まさにカクテル名人だからこそ、できる芸当だろう。発案はサントリーかもしれないが、この人が作るからこそ噂になる」と。 前置きが長くなった。今回は、そんな早川さんが営む「Bar Leigh(バー・リー)北新地」で飲んだ話を書きたい。早川さんは北新地に「SALON早川惠一」と「Bar Leigh北新地」の2軒のバーを持っている。京橋で「Bar Leigh(バー・リー)」(現在は弟子の釜井さんが独立してそれを継ぎ、「バー・ザ・モナーク」に屋号を変えて営んでいる)をスタートさせた早川さんは、その後、桜宮で「Bar Leigh ISLAY(バー・リー・アイラ)」を開き、2002年に北新地にやって来た。その店こそが今回の「Bar Leigh北新地」で、ゆっくり飲める大人の店として評判を得ているのだ。長いカウンターには、ゆったり感を持たせているのか8席しかなく、肘置きにもクッションがある素材を使って、バーなのにサロン風に飲めるように設えてある。そして奥にはラウンジのようなボックス席があり、多人数にも対応できるようになっている。我が友人の西村さん(某大手企業勤務・かなりの食通)は、この雰囲気がいたく気に入っているようで、週に一度は顔を出しているそうだ。
早川さんは「サロン早川惠一」の方へ出ているケースが高く、この店は弟子の金子歩さんが立ち、お酒を提供している。経歴を聞くと、金子さんは新潟の出身らしい。学生時代にアルバイトしたミナミの「水響亭」で接客業の面白さを知り、卒業後に「雇ってください」と「水響亭」に申し込んだという。早川さんと知り合ったのは、先輩のルートから。ちょうど「Bar Leigh北新地」をオープンする頃で、それを機に早川さんのスタッフに加わった。現在、31歳の金子さんを我が友人・西村さんはベタ褒めする。「場の雰囲気がわかっている。それにあの歳で、ハイレベルなカクテルを作れるのは珍しい」と評すのだ。金子さん自身も「わざわざ来てもらっているお客様の雰囲気を壊してはいけない。楽しんでもらうためには、出すぎず、邪魔せず、さりとて放っておかずに接客すべし」と心得ている。だから「Bar Leigh北新地」は心地よく飲めるのだろう。そして私たちはついつい時間を忘れてしまう。
ところで、私はこの店で珠玉の一杯にありつきたいと思っている。それは某所で、8月末に発売された「山崎ミズナラ」の話を聞いたからだ。サントリーでは、おなじみの「山崎12年」や「山崎18年」とは別に「山崎コレクション」をバー業態向けに発売している。これは「山崎」を構成する主な4つの樽の原酒を、それぞれヴァッティッグ・ボトリングしたコレクションで、2009年2月の「山崎シェリーカスク」を皮切りに、「山崎パンチョン」「山崎バーボンバレル」と続き、今夏発売の「山崎ミズナラ」で完結した。 「ミズナラ」とは、ミズナラ材のこと。水分が多く、燃えにくい特性からそう呼ばれるようになった。かつてサントリー山崎蒸溜所では、主にスペイン産コモンオーク材で作られたシェリー樽の空き樽を使っていた。それがくしくも太平洋戦争の激化により、調達が困難となった。そこで白羽の矢が立ったのが日本産のオークであるミズナラだった。しかし、ミズナラ材は漏れやすく、ウイスキー樽には向かない。その上、クセの強い木香を付けるためにブレンダー泣かせの原酒になったそうである。 この樽材に向かなかった難物が意外な効果を生み出す。10年たった時点で、あまり評価が得られなかった味が、20年以上の時を経て白檀や伽羅を想わせる香味を発するようになったのだ。
8月末に発売された「山崎ミズナラ」は、ミズナラ樽の中で熟成されたもの。他のウイスキーにはないオリエンタルな香味が特徴の酒である。 「Bar Leigh北新地」の金子さんは、「例えば『マッカラン』なら年数が違っていても、味は想像つきますが、この『山崎ミズナラ』は、これまでの『山崎』とは全く別物ですね」と評する。そんな言葉を聞いた後で、私は「山崎ミズナラ」をグラスに注いでもらった。金子さんは、この酒をストレートで味わって欲しいと考えている。それも酒をあまり飲んでいない状態の時に薦めたいらしい。そこまで限定して飲ませたい「山崎ミズナラ」を私は口へ運んだ。48度もあるわりには、なめらかな口当たりで、強い刺激が不思議と喉に伝わって来ない。そして豊かな熟成感と甘味が口内に残っている。甘いといっても、舌にまとわりつくようなことがなく、ウイスキーの味がふわっと広がり、甘さが口内を漂うといった感じだ。そして、長く余韻が広がるのが印象的だった。 「当店のお客様で、『山崎コレクション』を全て飲んでいるんですが、その人に言わせると『山崎ミズナラ』はずば抜けていいと言っています。『山崎シェリーカスク』を発売した時に、いずれは『ミズナラ』が出るのでは…と思っていたのですが、熟成年数がかかる酒だし、価格も自ずと上がるからと、期待した反面、販売価格を心配していたんですよ」と金子さんは話してくれた。金子さんがそう言うのは、「以前、ミズナラ樽の原酒を主体にして造られた『山崎1984』(「山崎」発売25周年を記念して販売されたもの。1984年にミズナラ樽に入れた原酒を中心にブレンドしている)が10万円と高価だったからだ。金子さんの想像に反し、今夏販売された「山崎ミズナラ」は、それほど高くはなく、「Bar Leigh北新地」でも1杯2500円で提供されている。
「山崎ミズナラ」には、エイジング(年数)が記されていない。サントリーの人の話では、20年以上のものが使われているとのことだった。「ミズナラは若いうちでは良さが出ないようですね。白檀や伽羅を想わせる香味は数十年の時を経て自然とつき、この独特の甘みを発するに至るのでしょう。だから素面(しらふ)に近い状態の時に、ストレートで飲んで欲しい」と金子さんは力説する。「そういえば、当店で発売日に最初に飲んだのは、曽我さんのお友達ですよ」と金子さんが言葉を挟んだ。私は、あのグルメな西村さんが封を切ってもらう姿を思い浮かべ、何だか先を越された思いがした。 「山崎」という同じ原酒でも樽の違いによってこれだけ味わいが変わってくることを「山崎コレクション」は物語っている。金子さんの話では、「山崎ミズナラ」はバー業態を中心に販売されたもので、たった1000本の限定らしい。あまりに好評で、すでに在庫はなく、それを買ったバーに行かなくては飲むことができないようだ。「独特の甘味もそうですが、香りだけでも楽しめるお酒でしょ」と金子さんは言う。だからだろう残り香を楽しめるように、金子さんは飲み干したグラスをすぐにはさげないでいる。私はあまりの旨さに、その味を意識の中に閉じ込めてしまいたくなった。だから何も注文せずに「Bar Leigh北新地」をあとにした。30分近く電車に揺られ、家路についた時、ふと「山崎ミズナラ」の味わいが口内に残っていることに気づいた。飲んでから1時間以上にもなるのに、この存在感は何だろう。まさに珠玉の一杯と言うしか表現方法は見つからない。