「京都で飲みたいのですが、どこかいい所がありますか」。そんな質問を地元の人にしてみた。すると、「祇園にある『フィンランディア・バー』がいいのでは…」との答えが返って来た。教えられた通り、花見小路通りに行き、「一力」を横目で眺めながら一本目を西へ曲がった。「FINLANDIA BAR」(フィンランディア・バー)というから、さも洋風の店かと想像していたら、意外にも町家を改装したもので、祇園らしく和風のイメージになっている。 扉を開けると、1階には長いカウンターとソファ席が、そして2階は8畳と6畳の座敷がある。この店で迎えてくれたのは、9代目の店長を務める高山統さん。元介護福祉士の経歴を持つ変り種で、24歳の時から憧れていたバーテンダーに3年前になったという人だ。「9代目とは凄いですね」と言うと、高山さんは「何せ、この店はできてから28年たってますからね」と言う。高山さんの話では、この店を営む坂田文保オーナーが、大阪万博でフィンランド館に入り驚きを覚え、水を大事にしている同国に傾倒したのだとか。だから祇園にありながらもフィンランドがコンセプトなのである。そのためにこの店では、北欧のウォッカ「FINLANDIA」を使ったカクテルが売りになっている。 早速、一杯飲ろうと思った時にメニューがないことに気づいた。高山さんに聞くと、この店にはメニューが存在しないらしい。客とバーテンダーが会話することによって、その嗜好を聞き出し、作ることにしているそうだ。
私はまだまだ暑いので、スッキリしたものが飲みたいと思い、一杯目にハイボールを指名した。最近は「角ハイ」がブームだが、この店に「角瓶」は置いていない。そこで高山さんは「響12年で作りましょうか」と持ちかけて来た。この取材で「響12年」をよく飲んでいることもあり、慣じみのあるそれで作ってもらうことにした。すると、高山さんはグラスに「響12年」を40ml注ぎ、柱のような形をした八角柱の氷を入れて、ソーダ90mlで満たして提供してくれた。柱のような氷を使うのが同店のスタイル。四角柱の四隅を削って八角柱のような形にして用いている。 提供されたグラスから思わず、「カラン」という音が響く。言い忘れたが「フィンランディア・バー」にはBGMが流れていない。客同士の会話やバーテンダーの作業音をBGMにできればと考えているようで、そのため氷の響きも他店より強調されて心地よく伝わってくる。グラスに当たった音がいいようにと演出が施されているのだ。 乾いた喉にハイボールが恋しかったのであろう、高山さんの作った一杯を私は短時間で飲み干してしまった。すると高山さんは、「2杯目はハイボールをシェイクしましょうか」と声をかけてきた。このところ色んな店でハイボールを飲んでいるが、シェイクしたものにはお目にかかったことがない。高山さんの提案通り、私は2杯目にシェイクしたハイボールを注文することにした。
まず、シェイカーに「響12年」40mlを入れる。今度は、キューブ型の氷を数個シェイカーに挿入する。そしてシンプルに一段でシェイク(人によっては二段で行う場合もある)。シェイクし終わると、氷を入れたグラスにシェイカーから注ぎ入れ、ソーダ90mlで満たす。この珍しいハイボールを一口含むと、柔らかい味が喉に伝わってきた。シェイカーで空気に触れたためであろうか、口当たりが何となく優しい。先程のハイボールも美味しいが、こちらはウィスキーの角が取れて、まろやかな味わいになっている。「空気とウィスキーが触れ合って発泡度がアップするようですね。シュワッとする感じがいいと評判です」と高山さんは話しかけてきた。このハイボールが生まれたのは、お客さんからの提案だったらしい。中には常連の人で、シェイクしたハイボールを好んで注文する人がいるそうだ。 「響12年はハイボールに適したウィスキーだと思います。最近はどうしてもライト志向が強いようで、お酒も口当たりがよく、柔らかなものが求められます。『響12年』で作るとそれが可能になる。軽いといっても味はしっかりしているし、それに甘みも出るので個人的にも好きなんですよ」とは高山さんの「響12年」評。基本的には1:3で割っているのだが、お客さんの嗜好によっては「響12年」40mlにソーダ100mlで割って供するのだという。
「フィンランディア・バー」は、芸妓さんの住まいだったものを改装して29年前にオープンした。そのわりには真新しい感じがしたので「新しい店かと思いましたよ」と私が感想を述べると、一昨年にさらに改装したところだという。カウンターには、樹齢300年という北海道の桜の木を用いている。12席あるカウンター席の後には、カップルシートの如く見えるソファ席があり、センスのいい内装が酒の味を一層美味しく感じさせてくれる。 2階に上がれば、純和風の座敷席。1階のような飲み方(単品で注文)をしてもいいが、ボトルを注文すれば、仲間同士でワイワイと話に興じることもできる。この場合、座敷の席料はひとり2100円(税込)。山崎12年や白州12年(ともにボトルで11550円)など注文すれば、あとは冷蔵庫にあるミネラルウォーターやソーダ、ドリンクの類は使い放題らしい。
ところで、この店の姉妹店が8月にオープンしている。辰巳大明神近くの「何生館」奥にある「Bar Common one Kyoto」がそれである。「フィンランディア・バー」同様に民家を改装したもので、「何生館」では、かんざしなど京の職人が作ったものを展示したり、京都らしい文化的なことを取り入れながら運営するようだ。そして茶室や座敷を有した新店は、この店よりさらにゆったりとした造りになっている。 「フィンランディア・バー」では、祇園に位置することから料亭などで食事をした人が多く訪れる。そのためか、フードは簡単なものしか置いていない。それでもフィンランドをテーマにしているだけに、珍しい「トナカイのサラミ」(840円)やトナカイの肉をスモークソーセージにした「本日の燻製」(840円)をアテにちびちび飲る人が多い。北欧の酒を多く揃えている同店では、「FINLANDIA(フィンランディア)」をトニックウォーターで割り、ライムを入れたものに、苔桃のリキュールを注いだカクテルが人気なのだとか。こう説明してくれるが、そのカクテルに名前はないのだという。なぜならこの店にはメニューが存在しないからだ。 「注文の時にどうしているんですか」と問うと、高山さんは「コレでアレをというような感じですかね」と曖昧な表現を用いる。こんなスタイルでもバーテンダーにはうまく伝わるらしい。「なにせ、私も池添さんも二人ともが元介護福祉士なんですよ」。前職で高山さんは老人ホームに勤めており、もうひとりのバーテンダー・池添さんは病院で勤務していたそうだ。「国家資格を持っている二人が相手をするんで、ホスピタリティもバッチリです」と冗談まじりに高山さんは話してくれた。現にこの店では、ホスピタリティを重視している。他のスタッフも秀でた接客を行ってくれるので、こちらは気持ちよく飲めるのである。名もなきカクテルと、ホスピタリティの効いたバーテンダーの会話で、京都の夜はまだまだ明けそうにない。