足を伸ばしてまで飲みたい店がある。南海・堺駅近くにある「バー中原」がそのひとつだ。堺は昔、自由貿易都市として知られ、戦国期には日本史に大きな役割りを果たした。昨今はどちらかというと大阪のベッドタウン。政令指定都市の仲間入りを果たしたことでもわかるように数多くの人が暮らしている。 そんな堺にあって「バー中原」は、ひときわ輝いた存在であろう。堺は町が持つイメージよりはバーが多いらしく、他のベッドタウンよりはバー文化が根づいている。だからかもしれないが、「バー中原」のレベルは高く、こんな雰囲気の店が北新地にあったとしてもおかしくはないと思ってしまう。
この店を営む中原淳史さんは、今年で35歳と、まだまだ若いバーテンダーである。バー自体も’09年10月オープンと新しい店だ。店が新しく、中原さんが若いといって堺では新参者ではない。天王寺都ホテルの「エトワール」で修業を積んだ中原さんが堺へやって来たのは6年前のこと。堺東駅近くに「アッセンブルオンエイト」ができることになり、その店を任されたのである。同店は繁華街の店をも彷彿させるオシャレなバーで、オープンするやその評判が伝播していき、いつしか堺の名店の地位を獲得した。そこのエース中原さんが満を持して独立。それが今回私が行った「バー中原」というわけだ。「バー中原」はより洗練された内装である。中原さんが大人向けのバーを欲したこともあり、落ち着いた雰囲気を醸し出している。8席のカウンター席には間接照明が当てられ、仄暗いムードが酒の味を引き立てている。そして、カウンター後にはボックス席調の席が―。中原さんはここをカウンター待ちの席と呼んでいるが、この場所でゆっくり飲る人も多いそうだ。 かつて「アッセンブルオンエイト」が評判を博したのは、店の雰囲気だけではなかった。むしろ、中原さんが作り出すカクテルによるところが大きい。中原さんは、数多くのカクテルコンペで入賞した実力者。今年もNBA(日本バーテンダー協会)の技能競技大会に参加し、関西大会・創作部門で見事1位に輝いている。その作品が「Angelus〜祈り〜」(1200円)。ウォッカをベースにし、シャルトリューズ黄色、ミントリキュール、フレッシュのレモンジュース、青リンゴのシロップで作るショートカクテルだ。飲むと洋梨の風味とミントが効いており、シャルトリューズが醸し出す薬草の味わいがふわっと口内を包み込む。甘い味わいだが、それよりは爽やかさが印象的で、夏場にはピッタリのカクテルである。
今回も私は「Angelus」を飲んでみようと決めていたのだが、メニューを捲っていると、気になるものが目についた。それは「梅の音(ね)」(1000円)なる和風的なネーミングで、私が最近気に入っている「響12年」をベースにしたものだった。 中原さんに「梅の音」のことを尋ねてみると、「最近は巷でハイボールが広まったので、当店でも家庭で作れるような簡単なカクテルを提供できないかと考えたんです。『響12年』をベースにし、『PRUCIA(プルシア)』という梅のリキュールを入れ、ジンジャーエールで割って作っているんですよ」とのことだ。シェーカーを使うと、家庭では難しいので、このような簡単なレシピになったのだと言う。 早速、「梅の音」を注文してみると、中原さんはグラスにクラッシュアイスを入れて冷やす作業に取りかかった。ある程度グラスが冷えると、その氷を捨てて1/6のカットレモンを絞り、再度氷を詰めていく。そして「響12年」20mlと「プルシア」20mlを入れ、その上からジンジャーエールをいっぱいまで注いでいく。マドラーで下から掬い上げるようにゆっくり3回まわすと、最後にレモンピールで香りづけをする。 透明感があり、少しキラキラと輝いたそのカクテルは、いかにも飲み心地がよさそうなムードを漂わしており、まるで梅の音(どんな音かわからないが・・・)が聞こえてきそうな気すらしてくる。中原さんが言うように梅のリキュールとジンジャーエールは好相性。割ってはいるものの「響12年」の奥深い味わいは十分舌に伝わって来る。「私は辛口のジンジャーエールを使わないことにしているんですよ。辛口を使用すると、『響12年』も『プルシア』も消えてしまいます。このカクテルは、ウイスキー、プラムリキュール、ジンジャーエールの3つの味が重なることで完成します。しっかりした甘みが特徴ですね」と中原さんは話してくれた。
中原さんはこのバーをオープンするにあたって「響12年」をテーマにしたカクテルを作ってみようと考えた。それはこのウイスキーがしっかりした風味を持っており、割っても負けない味をしていたからだ。「『響12年』はカクテルを作るためのウイスキーだと認識しているんですよ。勿論、ストレートで飲んでもいけますが、ソーダで割ると、『響12年』ならではのフルーティーさが引き立ちます。『マンハッタン』や『ニューヨーク』といったウイスキーベースのスタンダードカクテルにも合いますね」。 ウイスキーベースのカクテルは、ウイスキー自体の味に左右されると言われる。だからであろう、クラシックなものでもフィットする『響12年』を使うと、しっかりして旨いと誰もが口を揃えるのだ。嫌みがない点でもカクテルには適しているのであろう。 私が「梅の音」を気にいったもうひとつの点は、「プルシア」を使っていることだ。このリキュールは、南仏産の梅で作られている。梅を漬け込んだぶどう原料のスピリッツをブランデー樽に貯蔵していることから芳醇な味わいが得られている。中原さんは「アッセンブルオンエイト」でもこのリキュールを使っており、ソーダで割って出すと、ことさら女性に気に入られたそうだ。 だから「響12年」と「プルシア」の組み合わせは、すぐに頭に浮かんだと言う。相性をイメージすると、この2つにすぐにジンジャーエールを合わせた。そして何の苦もなく、「梅の音」が誕生したのだ。「梅の音」の完成度が高かったればこそ、「何種も考える必要がない」とあとのラインナップも作らなかったらしい。 カクテル名は当然ながら横文字のものが多い。なので、メニューに載せると、和名のこのカクテルがすぐに目に入ってしまう。「梅の音ってどんなものですかと聞いてくる人が多いですね。飲むと必ず納得してくれます。それにリピート率も高いんですよ」と中原さんは語った。「バー中原」に通う女性客がいるそうだ。その女性は「梅の音」を飲むとよほど気に入ったのか、「響12年」と「プルシア」をボトルキープして帰った。堺には「カクテルを飲むなら中原へ」といった言葉がある。だからカクテル好きはこの店を目指してやって来る。そんなカクテル好きがボトルをキープしてまで飲みたいと思った酒―。これだけ言えば、「梅の音」の素晴らしさがわかってもらえるはずだ。