バーの原稿を書く時に、取材者は「隠れ家」とか、「止まり木」とかいった表現を用いる。やはり誰しも自分だけの店を知っておきたいようで、そのフレーズに似合った店に人気が高まるものだ。今回訪れた「Bar HERMITAGE(バー・エルミタージュ)」は、そんなフレーズにピッタリの店だ。何しろエルミタージュとは、フランス語で隠れ家の意味。店主の田外博一さんもそんな店を作りたかったのだろうか、あえて店名を隠れ家と記した。店名の由来を田外さんに聞くと、「独立した時に一人でやれる大きさのものをと考えたんです。それにHERMITAGEには、私の名前(TAGE)も入っていますしね」との説明だった。隠れ家の意とは言い得て妙で、このバーは、新地本通りから堂島上通りへ抜けることができるビル(ジロービル新館)の1階にあたる。「神田川」のある同ビルは、1階フロアとはいえ、「エルミタージュ」へ行くには階段を少々上り下りせねばならず、まさに隠れ家的要因が備わっている。
田外さんは、太融寺(大阪・キタ)にあった「IST(イスト)」の出身。このバーは今はないが、数多くのバーテンダーを輩出したことでも知られている。88年「ナッツバー」でカクテルの勉強を始めた田外さんが、その系列店でもあった「イスト」で10年弱勤め上げ、念願の独立を果たしたのが「エルミタージュ」というわけだ。数ある北新地のバーの中でもこの店は有名で、田外さん自身もNBA(日本バーテンダー協会)技能競技大会で97年から4度も関西地区優勝を、また全国大会で3位に入賞するなど輝かしい経歴を持っている。その上、一昨年には某メーカーが主催するコンクールに7年ぶりに出て、「エル・カヴァレロ」なるオリジナルカクテルで2位になったほどである。ちなみにこのカクテルは、ドライシェリーと団栗のリキュール、スパイスシロップ、ミントで作ったもの。田外さんによると、モヒートのアレンジ版だそうで、スペインの騎士・ドン・キホーテをイメージして創作したものだとか。 隠れ家を目指して来る客の大半は、田外さんの作るカクテルの味に惹かれている。その証拠に、7割がカクテルを注文するそうだ。中でも人気があるのが「モスコミュール」と「ギムレット」。特に前者は、強めのジンジャーが効いており、甘さも抑えられている。「何かさっぱりしたものを、と言う人には必ずコレを出しています」と言うように、銅のマグカップに入った「モスコミュール」は清涼感があって、さっぱりした味。ジンジャーのピリピリした刺激が実に印象的である。
数ある名物カクテルの中でも、私はこの店に何を飲みに来たのかというと、他ならぬ「3Hハイボール」である。なぜなら堂島上通りから入ったところに「3Hハイボール」が記されており、この時期のオススメであろうと思われたからだ。 「3Hとは聞きなれぬ言葉ですが」と田外さんに質問すると、「エルミタージュ」と「白州」、それに「ハイボール」の3つの「H」を指しているとの解答。さらに「初めはエルミタージュと白州のHと答えていたんですが、『もう一つは?』と尋ねられ、苦しまぎれに「博一」のHですと言ったんです。店名にもTAGE(田外)が入っているし、3Hにも私の名前が入っていてもいいですよね」と冗談まじりに話してくれた。 この「3Hハイボール」には、「白州10年」が用いられている。白州はサントリー白州蒸溜所で造られているウィスキーである。森の中にある蒸溜所で造られているためか、飲むと緑っぽい香りが鼻から抜ける世界でも珍しいウィスキーだ。ミルキーな甘さと柔らかなスモーキーが特徴で、タッチは軽く、シャープな印象が残る。以前から私は、この白州を使ったハイボールが好きで、そのために「エルミタージュ」の「3Hハイボール」にもかなりの期待が膨らんでいた。 注文すると、田外さんは氷を入れたステンレスのマグカップに「白州10年」(50ml)を注ぎ、ソーダ(150ml)で満たした。田外さんの話では、この1:3の割合が黄金比率だそうで、水割りよりやや薄めにするのがコツとのことだ。そして仕上げには、レモンピールとミントを。こうして作られた「3Hハイボール」は、ステンレスのマグカップの中で見事に清涼感を醸し出している。 「熟成感のある白州12年より、私は白州10年の方がハイボールに向いていると思っているんですよ。ドライな感じがいいでしょ。レモンピールとミントがさらに味を引き立たせます。柑橘系の香りはソーダと合わせると、スッキリ感を醸し出すんですよ」。 「3Hハイボール」は、まさに口あたりがいい。ウィスキーも50ml入っているので、ベースとなる「白州10年」の風味が口内に残っている。「このくらいの濃さがいいですね」と私が言うと、田外さんは「薄いのを飲むとがっかりするでしょ。うちの店は飲みいいのがテーマ。飲みやすいが、心地よく酔ってしまう。そんなお酒を提供したいんです。だから1オンスや1ジガーより常にやや多めに入れています。甘・酸・味のバランスで、そんなに強く感じなくしているんです。うちに来たら、そんなに多く飲んでなくても酔い心地になる。そう思って帰るお客さんも多いでしょうね」。 「3Hハイボール」がメニューとして登場したのは4年前。5月の時期にウィスキーのソーダ割りで、何か美味しいものができないかと模索していたら、コレを思いついたのだという。「5月は新緑のイメージでしたので、森のウィスキーと呼ばれる『白州』が頭に浮かんだんですよ。『白州』をソーダで割って、多少苦みもあり、香りのするレモンピールを入れました。そして清涼感を持たす意味で、ミントも入れたんです。当初はグラスで出していたのですが、展示会でこのステンレスのマグカップを見つけ、以来コレを使っています」と話す。汗のかいたステンレスから口へ伝わる冷たい感触は、確かに飲み心地を高めてくれる。「エルミタージュ」に訪れた某ライターが「3Hハイボール」を一口飲んで、「森の中で反響する感覚がいい」と表現したそうだ。田外さんは「その反響は、鳥たちがさえずるイメージですかね」とさらに付け加えた。
田外さんによると、「3Hハイボール」は、単なるウィスキーのソーダ割りではなく、完成されたカクテルだという。単純なソーダ割りなら家庭でもできるが、完璧なカクテルなので、あえてバーで飲む商品だと表現する。他店より強めのお酒は、田外さんの技術で丸い味わいになる。飲んだ印象は丸いが、強い。そこに田外流の味の出し方が隠されている。「若い頃はシャープなものを作ってもいたのですが、年齢を重ねるうちに甘み=旨みの出し方がポイントだとわかって来ました。だから今では丸い味で、飲み心地のいいものを作っているんです」。かつて田外さんは、設計を志したことがある。建築設計の専門学校で学び、いったんはその方面の仕事にも就いた。しかし、偶然にも会社がカフェバーを営んでいたこともあって、いつしかバーテンダーの道を歩んでいたそうだ。田外さん自身は「設計の仕事には向いてなかったんです」と言うが、私から見ると、あながちそうでなかったのかもしれないと思ってしまう。なぜならグラスの中で、充分味わいという設計を施しているからだ。設計者が違えば、味が異なってくる。「エルミタージュ」には、名設計士がいるからこそ、こんなに心地よくハイボールが飲めるのだろう。