バーテンダーズ アイ

「こだわり」、それは酒の道を追求するバーテンダーに必要な資質と思われている節がある。しかし「こだわり」は本来、固執、妄執など執着を意味するネガティブな言葉。バーテンダーには、およそ相応しくない。バーテンダーの仕事は、酒を振る舞う手法に専心する…つまり「凝らす」ことにある。プロフェッショナルとしての思い思いの「凝りよう」が、接客やインテリアなどの細部に沁み渡り、至福のグラスに宿り、静謐なBARの空気を産み出しているのだ。
そんなバーテンダーの「凝りよう」を取り上げる「bartender's eye」。今回は、各BARの苦心と工夫が体現された、趣向を凝らした小物について。

今回のテーマ
趣向を凝らした小物

BARルヰ オーナー 菊地敏明氏

バーテンダー・ベストとその裏地

バーテンダーが客と接する際は、正対しているのが常である。つまり、バーテンダーと客は向い合わせの位置関係にあるのが当然だ。客を向い入れる時、オーダーを取る時、シェイカーを振るう時、モルトの説明をする時、洒落た会話を交わす時、そのいずれのシーンにおいても、バーテンダーは客と向き合う。

菊地氏はこう言う。「修行時代、いろいろなお店を観ようと渡り歩いている折、今はお亡くなりになったあるバーテンダーから『バーテンダーは背中に色気がないとダメだ』と諭されたものです」。

バーテンダーが客に背を見せる…そう多くはないがいくつかの局面がある。バックバー側を向き、ボトルを取る瞬間などがそれだ。客から上着を預かり、クローゼットにその上着をかける際など、いずれも正対している時間と比すと、ほんの一瞬間だ。

「色気を持つとは、一体、どういう意味なのだろうと考えさせられた」と氏。「その方は、我々は常に見られているということを教えたかったのだと、今は思います」。バーテンダーが背を向ける一瞬とは、バーテンダーに隙が生まれる瞬間だ。その背中に、客が色気を感じる…それこそが一流のバーテンダーの証だというのだ。

一店舗目となる東京八重洲の「BAR OCEAN」を開店するまで、菊地氏は、ずっとその色気について考え続けた。ある日、15年来の付き合いのある客のジャケットを預かった際、仕立てのジャケットの裏地がちらっと目に入り「これだ」と閃いた。長年、考えていた色気を表現するには、バーテンダー・ベストが必要だ、と。すぐにその常連客に仕立て屋を紹介してもらい、まずは生地を仕入れた。元来、生地を仕入れた店で仕立てをするのが常識だが、我儘を言い、生地だけを仕入れた。そして、仕立て屋でもあり、やはり15年来の付き合いのある別の客にオーダーすることにした。自らのBARをオープンするに当たり、バーテンダーの色気を表現したい。イメージを伝え、一等腕利きの職人にコンテを書いてもらい、バーテンダーひとりひとり実寸し、フルオーダーで仕立てた逸品となった。BARルヰのベストも同様である。BARルヰでは、シルバーのペイズリー柄とディープグリーンの裏地の2種類のベストがある。ポリシーに貫かれた一流の仕立てだけに、思わず視線を向けてしまう。

「バーテンダーはプロ。お客様もまた呑み手のプロ。お客様が目にするBARのすべてはプロ中のプロに作って頂いた」。氏にはそんな自負がある。「一流の作品に囲まれて我々は仕事をしている。それを日々、忘れないよう心しています」。

バーテンダーの背中…改めて考えさせられる深遠なテーマである。

背中が印象的なバーテンダー・ベスト
BARルヰ 店内

新橋アナハイム 店長 山元涼子氏

お手製レザーのボトルトレー

サラリーマンのメッカ、新橋の呑み助と言えども、山元氏の趣向を凝らした小物を知る者はそう多くはないだろう。弊著「麗しきバーテンダーたち」でも取り上げたが、山元氏の趣味は、レザークラフト。元来「モノ作りが好き」という気質から、生まれた趣味でもある。

その凝りに凝った趣味は、店先で窺うことが出来ないと思い込んでいたのだが、今回の取材で披露されたひと品は、お手製レザーのボトルトレー。なるほど、ボトルキープの常連は、すでに知っていたのかもしれない。

なぜ趣味であるレザークラフトを、BARで披露する心づもりになったのだろう。「札幌のBARやまざきの切り絵は有名ですよね。山崎さんが切り絵なら、山元涼子=レザークラフトのような、バーテンダー以外の売りがあるといいかなと思い立ったんです。大御所と比べるのは、生意気ですが」とはにかみながらその意図を吐露する。札幌のやまざきと言えば、半世紀を超える歴史を誇る老舗BAR。オーナーの山崎氏に、自らの横顔の切り絵をお願いするのは、全国のバーホッパーの夢でもある。その巨匠の向こうを張るとは大胆…。

しかし、山元氏を侮ってはいけない。彼女のレザークラフト、なにしろ、気に入ったバッグが見つからなければ、自ら手縫いで作り上げてしまうという職人並のレベル。

今回のレザートレーも、客にボトルキープのセットをサーブする際に、手頃なトレーが見当たらなかったことに端を発している。それなら、自分で作ってしまおう。そう思った。

本作のモチーフはとりあえず思い付いた品々。当店のトレードマークであり、女性の象徴でもある月を配し、ボストンテリアの愛犬「ネジ」を右側にレイアウト、そして白州、秩父、響のボトルを陳列して見た。苦心したのは、犬の鼻先と耳、それに響のボトルだという。

「レザーが厚いという点もあるんですが、革切りナイフで、切りつけていく際の角度によっては、その切れ目から、自然とぴっと切れて行ってしまう。その角度が非常に難しかった。それと実は、私は絵が信じられないほど下手なので、写真をプリントし、そのプリント通り、切り抜いて行くのに苦心しました」。

トレーの表面となっている茶の部分が馬革。紋様に現れているやや緑色がかった部分が、牛革。馬革のほうが堅く、牛革のほうが伸びやすいという性質の為、馬革を表面とし、トレーとしての機能を満たしている。「革製品なので、もう少し年季が入り、よれよれ感と味わいが出て来るのを狙っています」。

トレーの場合、制作期間は約2週間。取材時、通勤用に使用している自作のバッグも披露してもらった。バッグの制作には、ひと月ほどかかる。「すべて手縫いなので、バッグ制作の時は、両手指の第一関節がすべて切れてしまい、大変でした」と明るく笑う。「もっとも、作っている最中は、無心になれるので、実はストレスの発散にもなっています」。

革製品用のミシンが欲しいと考えていたが、ミシンだと作る愉しみが減ってしまうかも…と二の足を踏んでいるのだとか。「最近、ティラピア(魚)の革を買ったので、何を作ろうか悩んでいます。」

日々は過ぎ、いつの日か「アナハイムの山元=レザークラフト」と言われるような時代がやって来るのかもしれない。彼女の作品は、それほどまでに趣向が凝らされている。

趣きのあるボトルトレー
バックも自作するほどの腕前

松濤倶楽部 オーナー 児玉亮治氏

バッグギャモンなどの遊び道具

20代前半、足しげく通っては、酒の呑み方も知らぬまま呑み乾しては、見知らぬ客と戯れていた。そんな記憶が、松濤倶楽部には残っている。カフェ・バーやらプールバーやら、当時もカジュアルなバーで遊ぶことは出来た。だが、大人の集まるオーセンティックなバーでの余興は、私を魅了した。

児玉氏曰く「松濤倶楽部は、開店当時から『バーは大人の遊び場』というポリシーがあります。いつもお酒の話ばかりしていますが『今日は、何して遊ぶ?』という気分で訪れてもらえれば」。

私も酔っ払い、ゲームに興じながら、BAR以外では、なかなかお目にかかれないような方々と名刺交換させて頂いたものだ。

「ちょっと珍しいカクテルを作っていると『あのカクテル何?』と他のお客様から声を掛けられるのと同じ。ゲームも『あれ、何してるの?』という興味を持ち、ご自身も参加されるお客様は多い。外国からのお客様でもルールは判るので、言葉が通じなくても、お互いに知らないお客様同士で熱くなってプレーしていることも。お客様同士のコミュニケーション・ツールにもなっていますね」。

同じ知的ゲームでも、酔いながら将棋やチェスに興じるのは、さすがに難易度が高い。バックギャモンやカードゲームなら、酔っ払っていながらも、十分に遊べる。

バックギャモン台は、カウンター客からすると、ちょうど背中側に位置している。呑みながらも、ついつい振り返って、ゲームに興じる人を窺ってしまうのだ。

「カードあり、ダイスありで、その場を愉しんで頂くことを目的にしています」。オーセンティックな隠れ家で、グラスを傾け、シガーを燻らせ、熱くゲームに興じる…このBARには、そんな愉しみ方が隠されている。

バックギャモン台
松濤倶楽部 店内
取材記者:たまさぶろ プロフィール

東京都渋谷区出身。千葉県立四街道高等学校、立教大学文学部英米文学科卒。「週刊宝石」、音楽雑誌などの編集者を務めた後に渡米。ニューヨーク大学およびニューヨーク市立大学にてジャーナリズム、創作を学ぶ。Berlitz Translation Services Inc., やCNN Inc.本社勤務などを経て、帰国。「月刊プレイボーイ」、「男の隠れ家」などへの寄稿を含め、これまでに訪れたことのあるバーは日本だけで600軒を超える。

最近の著書は「【東京】ゆとりを愉しむ至福のBAR」

著書

撮影:斉藤美春